坂本龍馬と西郷隆盛が本当は不仲だった?薩長同盟の驚愕の真相
坂本龍馬と西郷隆盛が本当は不仲だった?薩長同盟の驚愕の真相とはどのようなものなのか? 専門的な分析を簡潔に解説します。
慶応2年1月(1866年)、京都の薩摩藩邸で歴史的な薩長同盟が締結されました。当時、薩摩と長州は「禁門の変」などを経て犬猿の仲であり、直接交渉は不可能な状況でした。この致命的な膠着状態を打開したのが、龍馬率いる亀山社中(のちの海援隊)でした。
長州藩の指導者・桂小五郎(のちの木戸孝允)は、孤立無援の中で武器弾薬の不足に苦しんでいました。そこで龍馬は、薩摩藩名義でイギリス商人トーマス・グラバーから最新式の小銃や軍艦を購入し、それを長州藩へ届けるという奇策を実行します。見返りとして、長州からは兵糧米が薩摩へ送られました。
会談当日、プライドがぶつかり合い互いに口火を切れない西郷と桂の間に入り、龍馬は「長州が滅びれば次は薩摩の番だ」と説き、妥協を促しました。龍馬が同盟の裏書に署名した事実は、彼が単なる仲介役ではなく、両陣営から中立かつ不可欠な証人として扱われていた決定的な証拠です。