【衝撃】美川憲一の若い頃が超絶美少年!ド派手女王へ激変した真相とは?
昭和40年(1965年)6月、シングル『だけどだけどだけど』で日本クラウンから彗星のごとく現れたデビュー当時の美川憲一。当時のレコードジャケットや宣伝用ポートレートに刻まれているのは、彫刻のように細く整った鼻筋、涼やかでノーブルな切れ長の瞳、そして透明感あふれる白い肌である。現在ネット上で美川憲一 若い頃 写真や昔の画像が再評価されるたび、20代や30代の若年層から「70年代少女漫画の主人公そのもの」「現代の塩顔イケメンの完成形」と驚きをもって拡散されるのも頷ける。
当時の芸能ジャーナリズムや音楽雑誌のアーカイブを振り返っても、美川憲一は明確に「美少年・青春貴公子路線」として売り出されていた。当時は橋幸夫や舟木一夫、西郷輝彦の「御三家」が歌謡界の頂点に君臨していた時代である。レコード会社は美川に対して、ブレザーを爽やかに着こなし甘く切ない初恋を歌い上げる正統派アイドル像を求めていた。事実、デビュー直後には大映や松竹の映画作品にも青年役として銀幕出演を果たしており、当時のブロマイド売上ランキングでも上位に食い込むなど、女性ファンが黄色い歓声を上げる典型的な二枚目スターであった。
しかし、本人の胸中には「敷かれたレール」への強烈な違和感があったという。当時の本人の回想や自著に記された述懐によれば、甘ったるい正統派の歌を歌うことに対して「自分の本当の声や持ち味が殺されている」というジレンマを常に抱えていた。その葛藤こそが、わずか1年後に訪れる歌謡史に残る大転換のマグマとなったのである。