資治通鑑の作者・司馬光とは?19年費やした執筆理由と史記との違い
『資治通鑑』の作者である司馬光(1019年〜1086年)は、字を君実(くんじつ)といい、後世には封号から「司馬温公(しばおんこう)」とも称された北宋中期の重臣です。現在の山西省に生まれ、代々高官を輩出した名門家系に育ちました。
幼少期から聡明で知られ、日本でも教科書や逸話で有名な「水瓶(みずがめ)割り」のエピソードの主役でもあります。大きな水瓶に落ちて溺れかけた友人を救うため、他の子どもたちがパニックになる中で司馬光だけが冷静に石を投げて高価な瓶を割り、見事に友人を救い出したという話は、彼の合理的な判断力と決断力を示すものとして語り継がれています。
20歳で官吏登用試験の最高峰である「進士」に合格して政界入りした司馬光は、地方官を歴任した後に中央で皇帝の側近として活躍。儒教の伝統的な道徳観と秩序を重んじる「旧法党(きゅうほうとう)」の指導者として、北宋朝廷で絶大な人望を集めました。彼の生涯は誠実そのものであり、政敵からも人格の高潔さを疑う者はいなかったと当時の公的記録にも記されています。