大化の改新で何が変わった?蘇我氏滅亡から律令国家への転換点を解剖

大化の改新で何が変わった?蘇我氏滅亡から律令国家への転換点を解剖の疑問点について、専門知識を取りまとめてご紹介します。

Q1:乙巳の変と大化の改新の違いは何ですか?
A1:乙巳の変(645年)は、中大兄皇子や中臣鎌足らが宮中で蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏本宗家を倒した「政治クーデター事件」を指します。一方、大化の改新は、その政変を皮切りに始まった「公地公民」「班田収受法」「租庸調」「国郡里制」など、古代国家の統治機構をゼロから構築した「一連の国家大改革」全体を指します。

Q2:公地公民と班田収受法によって庶民の生活はどうなりましたか?
A2:豪族の私有民から解放され、国から一定の口分田を割り当てられる法的な権利を得ました。しかし同時に、戸籍によって逃げ場なく把握され、租・庸・調の納税や都までの運搬義務、防人などの過酷な兵役を課されることになり、実質的な生活負担は非常に重いものとなりました。

Q3:なぜ蘇我入鹿は暗殺されなければならなかったのですか?
A3:蘇我氏は強大な財力と血縁関係を背景に天皇を凌ぐ権勢を誇り、豪族連合の既得権益を守ろうとしていました。唐の侵略危機が迫るなか、国家の意思決定を一元化し、天皇を中心とする強力な中央集権国家を大至急つくり上げるためには、旧体制の象徴であった蘇我氏本宗家の排除が不可欠だったためです。

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