読売・巨人・日テレを作った男!正力松太郎の功罪とCia工作の真相

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正力松太郎の歩みを振り返る上で外せないのが、警察官僚から新聞経営者への劇的な転身劇です。富山県射水郡大門町(現・射水市)の土木請負業の家に生まれた正力は、東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省警視庁に入庁。警務部長時代には第一次世界大戦後の米騒動鎮圧や関東大震災直後の治安維持で辣腕を振るいました。しかし、1923年の虎の門事件(昭和天皇への暗殺未遂事件)の引責で官界を去ることになります。

失意の底にあった正力でしたが、1924年、経営危機に陥っていた読売新聞の経営権を買収します。当時、東京の日刊紙の中で弱小に甘んじていた読売新聞を立て直すため、正力は紙面の全面刷新を決断。ラジオ欄の日本初導入、囲碁・将棋欄の充実、連載小説の強化など、大衆が真に求めるエンターテインメント性を徹底的に注入しました。

そして1934年、正力は社運を賭けて全米選抜チームを招聘します。伝説のスラッガー、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらの来日公演は大熱狂を巻き起こし、この興行の受け皿として結成されたのが「大日本東京野球倶楽部」、のちの読売ジャイアンツでした。単なる新聞の拡販にとどまらず、日本に職業野球という新たな産業と文化を根付かせたことから、正力は今も「プロ野球の父」として球界の歴史に名を刻んでいます。

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