非常口マークの「緑と白」は何が違う?実は日本発祥!走る人の真相を徹底解説
今や世界の空港や高層ビルで当たり前のように見かけるこのシンボルマークは、昭和の日本を揺るがした2つの凄惨な大火災事故を原点としています。
1972年5月13日に発生した大阪・ミナミの「千日デパートビル火災」(死者118名)、そして翌1973年11月29日の熊本「大洋デパート火災」(死者104名)。いずれの現場でも、もうもうと立ち込める黒煙と有毒ガス、停電による暗闇の中で、多くの人々が逃げ場を失って命を落としました。
当時の避難誘導サインは、赤い文字や黒い文字で「非常口」「非常階段」と漢字3文字で大書された電照看板が主流でした。しかし、濃煙の中では文字の輪郭が滲んで読めず、パニックに陥った人々にはそれが文字であることすら認識できませんでした。さらに日本を訪れる外国人にとっては、漢字表記は何の助けにもならなかったのです。
「文字ではなく、言語の壁を越えて誰にでも一瞬で脱出口だと伝わる視覚記号(ピクトグラム)が不可欠である」――この痛烈な反省から、当時の自治省消防庁(現・総務省消防庁)は1979年に一大デザインコンペティションを開催しました。
全国から寄せられた3,237点もの応募作の中から選ばれたのが、グラフィックデザイナーの小谷松敏文(こやまつ としふみ)氏によるデザイン原案でした。そして、この原案を科学的な視認性実験と人間工学に基づいて徹底的に洗練させ、現在の完成形へと昇華させたのが、多摩美術大学教授で日本サインデザイン協会の創設にも尽力した太田幸夫(おおた ゆきお)氏を中心とする専門家チームです。
太田氏らは、煙の中を模した実験空間で被験者の瞳孔の動きや視認速度をミリ秒単位で測定し、頭部の角度や足の跳ね上げ幅、胴体の前傾姿勢を極限まで微調整しました。こうして1982年、消防法施行規則の改正とともに日本国内の施設へ一斉導入されたのです。