光栄ある孤立」の国はどこ?19世紀の大英帝国が非同盟を貫いた真相を徹底解説
Web検索やSNSの歴史議論などで頻繁に見られるのが、「光栄ある孤立=江戸時代の日本のような鎖国政策、あるいは他国の出来事に一切関与しない孤立無援の外交」という大きな勘違いです。この通説には明らかな事実誤認が含まれています。
まず言葉の成り立ちからして、このフレーズはイギリス政府自身が誇らしげに掲げた公式スローガンではありませんでした。発端は1896年1月、カナダの政治家ジョージ・フォスターが連邦下院の演説で、欧州諸国の対立に惑わされず悠然と構える母国イギリスの立場を「我らが大英帝国は光栄ある孤立の中に立っている」と称賛したことにあります。それをロンドンのタイムズ紙が大きく報じ、海軍大臣ジョージ・ゴッシェンらが演説で引用したことで、大衆や政界に定着していったという経緯が存在します。
さらに重要な盲点は、イギリスが欧州の国際政治に誰よりも深く介入していたという事実です。1850年代のクリミア戦争ではロシアの南下を阻むためフランスと共闘し、1878年のベルリン会議ではバルカン半島の火種を巡って老獪な外交工作を主導しました。「恒久的な義務を負う軍事同盟を結ばない」ことと「国際秩序に関与しない」ことは全くの別物であり、イギリスは勢力均衡が崩れる兆候を見逃さず、常に外部から介入し続ける「見えざるバランサー」だったのです。