徳川家光の側室たち!春日局の戦略と男色疑惑の裏に隠された真実
徳川家光の側室たち!春日局の戦略と男色疑惑の裏に隠された真実の注目ポイントを丁寧に掘り下げてご紹介します。
春日局が考案したのは、単に美女を集めることではなく、「家光の特異な嗜好に合わせた徹底的なプロデュース戦略」でした。男子小姓にしか心を開かない家光に対し、春日局は最初の側室候補として、小姓風の衣装を着せた男装の女性「お振の方(自証院)」を引き合わせます。この目論見は見事に当たり、寛永14年(1637年)、家光が33歳にしてようやく第1子となる長女・千代姫(後の尾張徳川家・光友の正室)が誕生しました。
さらに春日局は、家光が公家文化や高貴な気品に惹かれる傾向を見抜くと、伊勢慶光院の院主であった公家出身の美貌の尼僧・お万の方(永光院)を還俗させ、江戸城へ迎え入れます。知性と気品を兼ね備えたお万の方は家光の絶大な寵愛を受け、家光の女性に対する警戒心を完全に氷解させる決定打となりました。
これと並行して、春日局は将軍以外の男性の立ち入りを厳禁とする「大奥法度」を整備。男子禁制の巨大な後宮システムを完成させました。これにより、将軍の私的空間と幕府の政治空間(表向・中奥)が明確に切り離され、血統存続のためだけに機能する「大奥」の礎が築かれたのです。