任天堂・山内溥の直感経営と遺産|花札屋を世界企業へ導いた男の真実
2002年、74歳を迎えた山内溥は、53年間守り続けた社長の座を退くことを発表しました。世間や市場が最も驚愕したのは、自らの長男や娘婿などの親族ではなく、当時42歳で任天堂入社わずか2年目の岩田聡氏を第4代社長に指名したことでした。
岩田氏は元々、任天堂のセカンドパーティーであるHAL研究所の社長兼プログラマーであり、天才的な技術力と卓越したマネジメント能力を兼ね備えていました。山内が岩田氏を選んだ決定的な理由は以下の3点に集約されます。
- 「エンターテインメントの構造」を技術と論理の両面から説明できる能力:山内自身の「直感」を、次世代のハード・ソフト開発において論理的に言語化・実行できる稀有な才能を見抜いていた。
- 同族経営の弊害の完全排除:娯楽産業という浮沈の激しい世界において、世襲による能力不足のリーダーがトップに立つことは企業の死を意味すると確信していた。
- 開発者をまとめ上げる求心力:宮本茂氏をはじめとする社内の天才クリエイターたちと対等に議論し、彼らを最大限に生かせる人物は岩田氏しかいないと確信していた。
社長交代の記者会見で、山内は自らの「直感型独裁経営」の終焉を宣言し、岩田氏を中心とする集団指導体制への移行を託しました。山内の見立ては完全に的中し、岩田体制となった任天堂は「ニンテンドーDS」や「Wii」を開発し、世界的なゲーム人口拡大という未曾有の大躍進を果たすことになります。