金閣寺を作った人は足利義満!豪華絢爛な黄金に秘めた権力闘争の真実
現在の金閣寺を鑑賞する際、知っておくべき決定的な事実があります。それは、「私たちが今目にしている金閣寺は、足利義満が建てた当時のオリジナル建築ではない」という点です。
室町時代の金閣寺は、応仁の乱の激しい戦火さえも奇跡的にくぐり抜け、実に550年以上にわたって創建当時の姿をとどめ続けていました。明治時代には旧国宝に指定され、日本建築の至宝として保存されていたのです。
しかし1950年(昭和25年)7月2日未明、日本中を震撼させる悲劇が起こります。同寺の徒弟僧侶であった林承賢(当時21歳)による放火事件――いわゆる「金閣寺放火事件」です。この火災によって、国宝・舎利殿は内部に安置されていた足利義満の木像や仏像群とともに、わずか数時間で灰燼に帰してしまいました。
この事件は、文豪・三島由紀夫の名作小説『金閣寺』や、水上勉の『五番町夕霧楼』『金閣炎上』の題材となったことで世界的に知られることになります。犯行動機について僧侶は「金閣の美しさに対する激しい嫉妬と、自らの吃音による劣等感」を語ったと記録されていますが、美の極致が炎に包まれる光景は社会に強烈なトラウマを残しました。
失意の底から立ち上がった京都市民と文化財保護委員会は、1955年(昭和30年)に膨大な実測図面と古文書をもとに舎利殿を忠実に再建しました。さらに1987年(昭和62年)には、塗膜の薄れていた金箔をすべて全面張り替えする大規模修復を実施。通常の5倍の厚みを持つ「特注の金箔約20万枚」を漆で圧着し、義満が創建した当時の輝きを現代に蘇らせたのです。私たちが目にする眩い黄金は、戦後の復興への執念と日本の伝統工芸技術の結晶でもあります。