「これでいいのだ」の真意とは?赤塚不二夫の名言が心を救う深層哲学
ギャグとして消費されてきたこの言葉ですが、これでいいのだの哲学的な意味を探ると、驚くほど深遠な世界が広がっています。ファンの間や仏教研究者の間でもしばしば語られるのが、お釈迦様(ブッダ)の言葉との不思議な親和性です。
仏教のサンスクリット語において、「バガヴァッド(覚者・聖者)」や「タターガタ(如去如来=あるがままに来て、あるがままに去る者)」という概念が存在します。奇しくも「バカボン」という響きが「バガヴァッド」に通じ、「これでいいのだ」という態度が「あるがままの真実を受け入れる(タターガタ)」という境地と完全に一致している点は、後世の思想家たちからも高く評価されています。
赤塚不二夫氏自身、満州からの過酷な引き揚げ体験や数々の私生活の波乱を経験してきました。そうした壮絶な人生の裏返しとして生まれた赤塚不二夫の根本思想とは、「起きてしまった現実はすべて受け止め、笑い飛ばすしかない」という究極のリアリズムと人間賛歌でした。善悪や正誤のジャッジを超越し、ありとあらゆる事象を「これでいいのだ」と包み込む姿勢は、東洋哲学の根底にある悟りの境地そのものと言えます。