コペルニクスの地動説とは?世界を揺るがした決定的理由と歴史の真相
コペルニクスの生涯と経歴を振り返ると、彼は専業の天文学者ではなく、ポーランドのヴァルミア司教領におけるカトリック教会の高位聖職者(カノン=司祭座堂参事会員)であり、医師、法学博士、さらには通貨改革を手掛けた行政官という多才な知識人でした。
彼が地動説の骨子をまとめた私家版の手引書『コメンティオルス(小論集)』を友人たちに配布したのは1514年頃と推定されています。しかし、大著『天球の回転について(De revolutionibus orbium coelestium)』として正式に出版されたのは、それから約30年後の1543年、彼が70歳で息を引き取る直前のことでした。なぜこれほどまでに公表を遅らせたのでしょうか。
主な要因は教会からの迫害を恐れたためだけではありません。当時の学界における「アリストテレス自然学」の権威による嘲笑を警戒していたことが、彼の手紙や序文から読み取れます。「もし地球が回転しているなら、真上に投げた石は西へ大きく流れるはずだ」「猛烈な遠心力で地上の建物は吹き飛ぶはずだ」という当時の物理的常識に対し、コペルニクスは完全な反論を用意できていませんでした。
最終的に弟子の数学者レティクスらの熱烈な説得を受け、教皇パウロ3世への献辞を添えて出版に踏み切りました。印刷を担当した神学者オジアンダーが「この書は真の物理的事象を主張するものではなく、天体計算を容易にするための仮説に過ぎない」という匿名の前書きを勝手に付け加えたこともあり、刊行当初の教会関係者の反応は、激しい弾圧どころか比較的穏やかな知的関心に留まっていたのです。