クリムトが最期に求めた女性エミリー・フローゲの真実
エミリーの率いる「フローゲ姉妹店」は、当時のウィーンの上流階級や文化人の女性たちで賑わい、大成功を収めました。彼女が提案した「改良服(Reformkleid)」は、東欧の民俗衣装や日本の着物に着想を得たゆったりとしたシルエットが特徴で、ウィーン工房の幾何学模様テキスタイルを用いたアヴァンギャルドな芸術作品でもありました。
しかし、二人の黄金期は突如として終わりを迎えます。1918年1月11日、クリムトは自宅アトリエで脳卒中により倒れました。その際、クリムトが苦しい息の下で叫んだ最期の言葉が「エミリーを呼んでくれ(Holt Emilie)」でした。急報を受けたエミリーは病床に駆けつけ、彼が2月6日に息を引き取るまで献身的に看取りました。クリムトはその遺言により、遺産の半分をエミリーに遺贈しています。
クリムトの死後、エミリーの人生には過酷な試練が降りかかります。1938年、ナチス・ドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)によって、サロンの主要な顧客層であった富裕なユダヤ人女性たちが亡命や迫害を余儀なくされ、サロンは閉鎖に追い込まれました。
さらに悲劇的な出来事が1945年、第二次世界大戦末期のウィーン空爆と戦闘の中で起こります。ウンガーガッセにあったエミリーのアパートメントが火災に見舞われ、彼女が大切に保管していたクリムトの素描、絵画、手紙のコレクション、そして彼女自身が制作した貴重な衣装の数々が一瞬にして灰燼に帰したのです。エミリーはその後、静かに余生を送り、1952年に78歳でこの世を去りました。