凌遅刑の歴史と真相|なぜ中国史上最も残酷な極刑は存続したのか
凌遅刑の残虐性が極限に達したのは明代でした。刑の執行においては「刃を入れる回数(刀数)」が厳密に定められ、決められた回数に達する前に罪人が死亡した場合、執行人である刀手が処罰されることすらありました。
宦官・劉瑾の処刑|3日間に及んだ3,357刀の執行
明代の正徳5年(1510年)、専権を極めた大宦官・劉瑾(りゅうきん)が謀反の罪で逮捕された際、下された判決は「3,357刀」という天文学的な数値でした。明代の記録によれば、初日には300余刀を入れ、胸や腹の肉を削ぎ落とし、夕方には一度受刑者を牢に戻して粥をすすらせ、意識を回復させて翌日の執行に備えたと伝えられます。最終的に3日目に心臓を突かれて絶命し、削ぎ落とされた肉片は彼を憎む民衆の間で買い取られ、怨嗟の対象として消費されました。
名将・袁崇煥の悲劇|冤罪と狂乱の群衆心理
さらに後世の歴史家を震撼させたのが、崇禎3年(1630年)の袁崇煥(えんすうかん)の処刑です。後金(後の清)の侵攻を幾度も防いだ明末屈指の名将でありながら、敵の離間工作(スパイ工作)に嵌まった皇帝によって謀叛の濡れ衣を着せられ、凌遅刑に処されました。当時の記録『明季北略』によれば、北京の西市で執行された際、売国奴と信じ込まされた興奮状態の群衆が、執行人が切り取った袁崇煥の生肉を金を出して買い求め、その場で噛み砕いて酒の肴にしたという凄惨な記録が残されています。国家のプロパガンダが集団狂気を生み出した痛烈な歴史的事実です。