女子高生コンクリート事件の真相|犯人らの現在と37年目の教訓を詳しくリサーチ! 知っておきたい 重要ポイントを凝縮して配信します。
1989年7月に東京地裁で初公判が開かれた際、傍聴席を求めて裁判所周辺には長蛇の列ができました。世論は凶悪極まりない犯行に対して極刑を求めましたが、当時の少年法の壁が立ちはだかりました。以下は、主要な加害少年4名に対する確定判決と当時の法的基準を整理したデータです。
加害者(当時)確定判決・懲役刑データ当時の少年法基準・相場編集部の見解・司法評価主犯格A(当時18歳)
犯行現場の主・リーダー格懲役20年
(一審懲役17年を破棄、東京高裁で当時の有期刑上限が確定)犯行時18歳未満でない少年への無期懲役緩和規定はあったが死刑回避が通例殺意の認定を巡り激しく争われたが、事実上の有期懲役上限が科された。しかし世論の怒りとは大きな乖離を残した。準主犯格B(当時17歳)
暴行を主導・被害者を監視懲役5年以上10年以下
(不定期刑)18歳未満の少年に対する不定期刑(長期10年が当時の上限)主犯格に匹敵する残虐な暴行を主導しながらも、年齢要件により10年の上限で刑務所へ収容された。少年C(当時16歳)
拉致の実行役・日常的暴行懲役5年以上9年以下
(不定期刑)従属性や年齢(当時16歳)を考慮した不定期刑拉致の直接の契機を作った責任は重いが、主犯格Aへの従属性が量刑上考慮された。少年D(当時17歳)
遺棄場所の選定・暴行加担懲役5年以上7年以下
(不定期刑)従犯的性格が強いと判断された少年への短期不定期刑ドラム缶やコンクリートの調達・遺棄に関与したものの、主導的立場ではなかったとして最も軽い量刑となった。
当時の裁判では、検察側が主犯格Aに対して無期懲役を求刑したものの、東京地裁の一審判決は懲役17年でした。これに対し控訴審の東京高裁(1991年7月)は「犯罪史上稀に見る重大かつ凶悪な犯行」として一審判決を破棄し、当時の有期懲役の上限であった懲役20年を言い渡しました。しかし、どれほど重い有期刑であっても、将来的に社会へ復帰することが約束された判決に対し、遺族と世論は深い失望と憤りを抱くことになりました。
中川 明日香
ビジネス戦略アナリスト
エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。