新撰組メンバー一覧|役職別の結末と死因・生存者の真相を徹底解明

新撰組メンバー一覧|役職別の結末と死因・生存者の真相を徹底解明に関する深掘り解説を分かりやすく解説いたします。

新撰組の歴史において避けて通れないのが、苛烈な内部粛清です。土方歳三が考案したとされる「局中法度(士道に背き間敷事、局を脱するを許さず、勝手に金策致す可からず、等)」は絶対であり、敵との戦い以上に局中法度違反者に対する切腹や暗殺の処罰が隊内に吹き荒れました。

初期の総長・山南敬助は、組織の急進化や土方との路線対立から無断脱走を図り、連れ戻されたのちに切腹。また、参謀・伊東甲子太郎が結成した分離組織「御陵衛士(高台寺党)」を巡る対立は、慶応3年(1867年)11月、日本史上の凄惨な暗殺事件「油小路の変」へと発展します。

近藤らは伊東を酒宴に招いて酔わせた帰路に暗殺。その遺体を油小路七条の交差点に放置し、引き取りに現れた御陵衛士の同志たちを一斉に急襲しました。このとき、試衛館以来の仲間でありながら伊東に同行していた八番隊組長・藤堂平助も命を落とすことになります。近藤は藤堂を逃がそうとしたものの、事情を知らない隊士によって斬殺されたと伝えられています。

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