渋谷ハチ公像の初代が辿った悲劇とは?東大像の謎と感動の実話を徹底追跡

渋谷ハチ公像の初代が辿った悲劇とは?東大像の謎と感動の実話を徹底追跡の重要なポイントについて、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

ハチの物語の核心にあるのは、飼い主であった東京帝国大学(現・東京大学)農学部教授、上野英三郎博士とのわずか1年4カ月という短い同居期間と、その後に続いた約10年におよぶ待ち続けた日々です。1924年1月、生後間もなく秋田県大館市から上野邸へとやってきたハチは、博士の深い愛情を受けて育ちました。朝は渋谷駅まで博士を見送り、夕方には改札口で出迎えることが日課となっていました。

運命が暗転したのは1925年5月21日。上野博士は大学での教授会講義の直後に脳溢血で急逝し、二度と渋谷駅の改札から姿を現すことはありませんでした。主の死を理解できないハチは、その後世田谷や浅草など親族・知人のもとを転々と預けられながらも、毎日夕刻になると片道数キロの道のりを歩いて渋谷駅へと向かい、博士を待ち続けました。

駅周辺でのハチの生活は決して穏やかなものばかりではありませんでした。当時は狂犬病予防や野良犬対策が厳しく行われており、通行人や荷車引きから心ない暴力を受けたり、子どもに悪戯されたり、野犬狩りの対象に怯えたりする過酷な日々でした。その状況を一変させたのが、日本犬保存会を立ち上げた初代会長・斎藤弘吉による1932年の朝日新聞への寄稿「いとしや老犬物語」でした。この記事によって全国から同情と支援の声が殺到し、駅員や屋台の店主たちもハチを温かく見守るようになり、ハチ公像建立の原動力となったのです。

1935年3月8日未明、ハチは渋谷駅近くの稲荷橋付近の路地で息を引き取りました。享年11(人間換算で80歳前後)。その遺体は直ちに東京帝国大学農学部へと運ばれ、病理解剖が行われました。長年、胃の中から焼き鳥の竹串が数本見つかったことから「死因は胃穿孔や消化不良」と語り継がれてきましたが、2011年に東京大学の病理研究チームが最新のMRI検査と顕微鏡観察を実施した結果、決定的な新事実が判明しました。死因の直接の引き金は重度のフィラリア症(犬糸状虫症)と肺および心臓に転移した進行性の悪性腫瘍(がん)であり、竹串による消化管の損傷痕は見当たりませんでした。身体が病に蝕まれ、立っていることすら激痛を伴う状態でありながら、ハチは最期の日まで足を引きずって主を迎えに行っていたのです。

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