上九一色村の現在とサティアン跡地の今|分割合併の真相と消滅の歴史
上九一色村という自治体は、山梨県の中南部に位置していました。北は甲府盆地の南端に接し、南は富士山北西麓の富士ヶ嶺まで、南北に約20キロメートル以上も細長く延びていた村です。
この村の最大の特徴であり弱点だったのが、中央部に立ちはだかる険峻な御坂山地(女坂峠)の存在でした。この山嶺が村内を物理的・精神的に二分していた歴史的経緯があります。
- 北部エリア(梯・古関地区など):芦川沿いの谷あいに位置し、古くから甲府盆地との結びつきが圧倒的でした。高校への進学、日常の買い出し、病院への通院など、生活のすべてが甲府市を向いていました。
- 南部エリア(精進・本栖・富士ヶ嶺地区):富士五湖の精進湖・本栖湖、そして戦後開拓された高原地帯の富士ヶ嶺で構成され、観光業と酪農業が中心でした。生活圏は現在の富士河口湖町や富士吉田市、さらには静岡県富士宮市側に完全に依存していました。
村内の南北を結ぶ国道358号(精進湖有料道路、現在は無料化)が全面開通するまで、同じ村でありながら北と南を行き来することすら困難を極めていました。同じ村役場の職員であっても、北部と南部で文化も産業も全く異なっていたのです。