隈研吾建築の全貌|新国立から木材劣化の真相・代表作の評価を徹底検証
隈研吾氏の建築を語る上で欠かせないのが、自著のタイトルにもなった「負ける建築」という哲学です。20世紀の建築界を席巻したコンクリートや鉄骨による「強くて自己主張の強い建築」に対し、建築が周囲の自然や街並みに対して一歩身を引き、環境に寄り添う姿勢を指します。
1954年に神奈川県横浜市で生まれた隈氏は、東京大学大学院建築学専攻を修了後、コロンビア大学客員研究員を経て自身の事務所を設立しました。バブル期に手掛けたポストモダン建築「M2」(東京都世田谷区、1991年竣工)は巨大なイオニア式柱を冠した大胆なデザインで注目を集めたものの、バブル崩壊とともに東京での仕事を失うという大きな挫折を味わいます。
この逆境のなかで隈氏が向かったのが、高知県の山あいに位置する梼原(ゆすはら)町でした。豊かな森林資源と地元の職人たちとの協働を通じて、木材という素材の可能性に目覚めた経験が、現在の「和の大家」としての原点となっています。当時の手記でも「建築を消し去り、素材の粒子へと分解して環境と接続する」という発想が語られており、木材を細いルーバー(羽板)状にして並べる独特の手法が生み出されました。
隈研吾建築の主な特徴は、以下の3点に集約されます。
- 自然素材の粒子化:木材、石材、和紙、竹などの自然素材を細かく分割し、光と風を通す軽やかなグリッドやルーバーを構築する。
- 地域性と土着の素材(ヴァナキュラー):建設地の歴史や気候風土を読み解き、地場産の木材や石材を積極的に採用して地域経済や文化と結びつける。
- 陰影と中間領域の創出:日本の伝統的な「縁側」や「軒(のき)」のように、建物の内外を曖昧につなぐグラデーション空間を設ける。