渥美清の最期に何が?誰にも明かさなかった壮絶ながん闘病と密葬の真相
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渥美清さんの逝去が世間に公表されたのは、亡くなった翌々日である1996年8月6日の夕方でした。すでに遺体は東京都荒川区の町屋斎場で荼毘に付され、遺骨となって自宅へ戻った後でした。
なぜ、国民的スターでありながら大々的な葬儀を行わず、極めて閉ざされた密葬を選択したのでしょうか。その密葬の理由には、渥美清さんが生涯をかけて守り抜いた明確な美意識と、妻や子供ら家族に対する深い配慮がありました。
渥美さんは生前、家族に「俺が死んだら、決して騒がせるな。骨にしてから松竹に連絡しろ」「やせ細って変わり果てた骸(むくろ)を誰にも見せたくない」と厳命していたと伝えられています。これは、大衆が愛してくれた「車寅次郎」という夢の存在を、現実の生々しい死によって汚したくないという強烈なプロ意識の表れでした。
また、プライベートにおける渥美さんは、家庭の気配を仕事場に一切持ち込まない主義を貫いていました。世田谷の自宅の場所さえ映画関係者の大半に教えず、妻の正子さんや2人の子供をメディアの喧騒から完全に隔離し、平穏な一般人としての生活を守り抜きました。家族もまた、夫であり父である田所康雄の厳格な言いつけを守り、悲痛な喪失感の中で沈黙を守り通し、密葬を完遂させたのです。