五箇条の御誓文の目的とは?現代語訳や五榜の掲示との違いを徹底解剖
五箇条の御誓文は、最初からひとりの人物によって一気に書かれたものではありません。当時の記録や関係者の証言によると、由利公正(越前藩出身)、福岡孝弟(土佐藩出身)、木戸孝允(長州藩出身)の3名の手を経て段階的に進化しました。
- 第1段階(由利公正の原案「議事之体大」):越前藩で財政改革を成功させていた由利は、坂本龍馬の「船中八策」にも通じる実務的な合議制と経済重視の条文を作成。「庶民志を遂げ」など民衆の活力を重視していました。
- 第2段階(福岡孝弟の修正案):土佐藩の福岡は、大名たちによる合議を強調するため「列侯会議を起こし」という表現に変更。しかし、これでは大名中心の封建的な枠組みに戻ってしまう危険がありました。
- 第3段階(木戸孝允の最終決定):長州藩の木戸孝允は、福岡案の「列侯会議」を削り、「廣く會議を興し」へと変更しました。対象を特定の大名に限定せず、広く有為な人材や世論を取り込む普遍的な理念へと引き上げたのです。さらに第四条の「天地の公道」を加えることで、国際社会に向けた開国宣言としての性格を確立させました。
この推敲のプロセスこそが、御誓文を単なる「諸藩の妥協案」から「近代国家日本の基本方針」へと昇華させた決定的な分岐点でした。