竹下登の長男は実在しない?噂の真相とDaigoへ繋がる華麗なる家系図
実の息子がいなかった竹下登にとって、自らが築き上げた「竹下王国」の承継問題は、生涯にわたる重い政治課題でした。島根2区という強固な選挙地盤、そして最大派閥「経世会(後の平成研究会・竹下派)」を誰に託すのか。その舞台裏では、単なる親族の思惑を超えた熾烈な権力力学が作動していました。
竹下登の体調悪化が伝えられた1990年代末期、後継者の最有力候補として周囲が注視したのは、秘書として仕えていた娘婿の内藤武宣氏でした。しかし内藤氏は、黒衣に徹する補佐役としての気質を重んじ、自らが選挙の表舞台に立つことを固辞したと伝えられています。当時の事務所関係者の回想によれば、「内藤さんは義父である竹下先生の偉大さと政治の恐ろしさを誰よりも熟知していたからこそ、自らの出馬を選ばなかった」と証言されています。
そこで白羽の矢が立ったのが、登氏の異母弟であり、NHK記者として活躍していた竹下亘氏でした。亘氏は当時、報道の現場でキャリアを重ねていましたが、兄・登氏の強い要請と地元後援会の熱烈な後押しを受け、2000年の第42回衆議院議員総選挙で出馬を決意。見事に初当選を果たしました。
亘氏は当選後、着実に政治家としての実績を積み上げ、復興大臣や自民党総務会長といった要職を歴任。2018年には伝統ある派閥の領袖となり、「竹下派」の名称を復活させました。息子がいなかった竹下登の政治的遺産は、娘婿ではなく「22歳下の実弟」という血の結束によって、21世紀へと確実に引き継がれたのです。