不可説不可説転の上はある?仏教最大の数と超巨大数研究の真相
インターネットの黎明期から現代のSNSに至るまで、巨大数マニアや小中学生の休み時間の談義において、まことしやかに囁かれ続けてきた言説があります。「不可説不可説転のさらに上がある」「不可説不可説転転という隠された単位が存在する」という言説です。この都市伝説的な噂の真偽を検証すると、宗教文献学的な事実とネットスラングの境界が鮮明に見えてきます。
結論から明示すれば、原典である『華厳経』の体系において、不可説不可説転の次の単位は定義されていません。経典の記述は「不可説不可説転」をもって終止符を打たれており、仏教の公認経典における命数法の上限はここで完結しています。したがって、一部のwebサイトや動画コンテンツで見かける不可説不可説転転の噂は、ネットユーザーや愛好家が語感のインパクトから生み出した純然たる創作・造語に過ぎません。
では、なぜこのような噂が執拗に再生産されるのでしょうか。要因の一つに、華厳経の命数法が持つ「反復構造」への誤解が挙げられます。華厳経の終盤では以下のような名称の推移をたどります。
- 不可説(ふかせつ)
- 不可説転(ふかせつてん)
- 不可説不可説(ふかせつふかせつ)
- 不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)
このように「不可説」と「転」という言葉を組み合わせて二乗化を繰り返す規則性があるため、受容側の心理として「では次は不可説不可説転にさらに『転』をつけた不可説不可説転転になるのではないか」「あるいは不可説不可説転 二乗を行えば新たな単位が生まれるのではないか」と類推してしまう構造が存在します。
しかし、原典を訳出した実叉難陀(じっしゃなんだ)らの意図は、計算機のメモリ競争のような無限の肥大化ではありませんでした。「不可説(言葉で説明し尽くすことができない)」境地をさらに二乗し、それを「転(展開・反転)」させ、究極に至ったことを示す象徴的な言語表現こそが不可説不可説転です。これ以上言葉を重ねることは「言語表現を超越した世界」を示す経典の宗教的趣旨からも完全に無意味となるため、ここで打ち止めとされた背景があります。