インカ帝国の首都はクスコ!標高3400Mの巨石文明と滅亡の真相
インカ文明の象徴として世界中に知られるマチュピチュ。天空の城とも称されるその神秘的な佇まいから、一般には「マチュピチュこそがインカ帝国の王都だったのではないか」と混同されがちです。しかし、現地の考古学調査や歴史的文献を精査すると、両者が果たした役割には明確な一線が引かれています。
インカ帝国の首都として機能していたのは、間違いなくクスコでした。1200年代初頭に初代マンコ・カパックがこの地に定住して以来、1532年にスペイン人に蹂躙されるまでの約300年間、クスコは広大な帝国の全権力を掌握する唯一無二の首都であり続けました。人口も最盛期には周辺を含めて10万人以上が暮らしていたと推定されています。
これに対し、クスコから北西へ約80キロメートル離れた断崖絶壁に位置するマチュピチュは、帝国の拡大を成し遂げた第9代インカ皇帝パチャクティの「離宮(プライベートリゾート)」兼「宗教的祭祀施設」であったという見解が定説となっています。標高は約2,430メートルとクスコよりも1,000メートルほど低く、温暖な亜熱帯気候を活かした避寒地として、あるいは皇族の冬の居城として建設されたものです。政治の中枢として国家の意志決定を行っていたクスコと、皇帝一族の聖域として限られた者しか出入りを許されなかったマチュピチュ。この機能の違いを把握することが、インカ文明を正しく理解するための第一歩となります。