矢口高雄の生涯と真実|銀行員脱サラから『釣りキチ三平』誕生の軌跡
上京後、劇画ブームの中で泥臭い人間ドラマや自然を題材にした短編を描き続けた矢口に、決定的な転機が訪れます。1973年、『週刊少年マガジン』で連載がスタートした『釣りキチ三平』です。
当時の少年漫画誌はスポ根ものやSFバトルが主流であり、「釣りを題材にした漫画など当たるはずがない」というのが出版界の定説でした。しかし、矢口は故郷の渓流で培った圧倒的な観察眼をもとに、魚の生態、水流の動き、四季折々の山林風景を写真のような精密さで描き出しました。主人公・三平三平(みひら さんぺい)の躍動感あふれる冒険譚は少年たちの心を鷲掴みにし、単行本累計発行部数は4000万部を超える社会現象へと発展しました。
さらに矢口の作家性を決定づけたのが、1975年に発表された重厚なドキュメンタリー劇画『マタギ』です。東北の厳しい冬山で熊を狩り、独自の掟と信仰を守り続ける狩猟民「マタギ」の世界を、徹底した現地取材と民俗学的知見をもとに描き切りました。本作は第5回日本漫画家協会賞大賞を受賞し、「漫画を大人の鑑賞に堪えうる一級の記録文学へと引き上げた」と批評界から絶賛を浴びました。