藤圭子の父・阿部壮三郎の数奇な生涯|浪曲師と極貧巡業の真実
藤圭子の生い立ちを語るうえで避けて通れないのが、母・竹山澄子との出会いと、家族総出で行われた過酷な旅回りです。澄子は幼少期に病で視力を失った盲目の女性であり、三味線演奏の技術を身につけていました。かつて越後や東北を中心に活動した盲目の女性旅芸人「瞽女(ごぜ)」の系譜を引く存在であり、壮三郎と出会ったことで夫婦での巡業が始まりました。
藤圭子の家族構成は、父・壮三郎、母・澄子、そして兄や圭子(本名:阿部純子)らを含む一家でした。一家の生活は常に困窮を極めており、岩手県から北海道・旭川など北日本を転々とする日々を送ります。壮三郎が浪曲を唸り、澄子が三味線の伴奏(曲師)を務める後ろで、幼い圭子もまた「門付(かどづけ)」や幕間で歌を披露し、小銭を稼いで一家の命を繋いでいました。
当時の自著や回想録には、吹雪の中を盲目の母の手を引き、父の重い荷物を背負いながら、駅前や居酒屋の軒先で歌った記憶が生々しく綴られています。学校にまともに通うこともままならず、同級生からの心ない視線に耐えた日々が、のちの「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」に見られる、底知れぬ哀愁と覚悟を生み出す土壌となりました。