純正律とは?濁りなき奇跡の響きと平均律に隠された最大の弱点
ここまで純正な響きの素晴らしさを知ると、「なぜ現代のピアノ調律はすべて純正律にしないのか?」という素朴な疑問が湧き上がります。その答えは、純正律が抱える冷酷なまでの数学的パラドックス、すなわち「純正律は転調できない」という絶対的な弱点にあります。
純正律でハ長調(Cメジャー)の音階を構成した場合、全音(ドとレ、レとミなどの間隔)には実は2種類の異なる広さが混在することになります。周波数比9:8の「大全音(約204セント)」と、周波数比10:9の「小全音(約182セント)」です。この二つの全音の間には、周波数比にして81:80、音程にして約21.5セントもの段差(シントニックコンマ)が存在します。
この不均一な音階のまま、曲の途中でハ長調からト長調やヘ長調へ転調したり、あるいは別の和音を鳴らそうとすると、計算の整合性が一気に崩壊します。例えば、ハ長調の純正律において「レとラ」の音程(完全五度)を鳴らすと、比率は正規の3:2(約702セント)にならず、40:27(約680セント)という大幅に狭い音程になってしまいます。この狂った音程を鳴らした瞬間、狼の遠吠えのような恐ろしい濁音が発生することから、西洋音楽史ではこれを「ウルフ音(Wolf interval)」と呼んで忌み嫌ってきました。
鍵盤楽器は一度調律してしまうと、演奏中に音の高さを瞬時に微調整することができません。もしピアノを純正律で特定の調に合わせて調律してしまえば、その調の主要三和音(ドミソ、ファラド、ソシレ)は息を呑むほど美しく鳴るものの、ひとたび転調した瞬間に激しい不協和音とウルフ音が炸裂し、楽曲が破綻してしまうのです。音楽表現の幅を広げ、自由自在な転調と複雑な近代和声を手に入れるために、人類は「三和音の濁りのない美しさ」を犠牲にして、すべての鍵盤を均等に薄く濁らせた平均律を受け入れたという経緯があります。